売る人着る人
売る人、着る人
服をすてきに着こなしている人は、すてきに見える、中身もステキ、と思ってしまう。しかし話をしてみても想像していた宝石は現れない・・・のが普通。人間と服の関係は玉ねぎのようなものかもしれない、1枚ずつ剥いでいくと玉ねぎの形はなくなってしまい、中身はついに見つからない、服には中身があるかのように見せる効果があるようだ、服とは、服の着かたによって、ステキと判断される。「裸の付き合い」という言葉があるけれど、心に衣を着せないで、くったくなく、隠し事もせず、つき合っている間柄のことであるが、やはり着ている物や、着かたによって判断され一般的に人間は「人間は中身が一番」と言われるけれど、それは外見に惑わされてはいけないとの教えだろう。でも、その服を選ぶのは自分だから外見こそ中身ではないだろうか。しかし業界では「売る」ための「売れる」デザインに関心の焦点を当てるあまり、お客様に対してその服を、どのような時に着る、着ない、また着たシーンを忘れがちで、創作した服ばかりを見ていて、お客様の心を見ていないが、でもそれを買って着なければならないのが人間ではないだろうか、裸では居られないのだから。
服をすてきに着こなしている人は、すてきに見える、中身もステキ、と思ってしまう。しかし話をしてみても想像していた宝石は現れない・・・のが普通。人間と服の関係は玉ねぎのようなものかもしれない、1枚ずつ剥いでいくと玉ねぎの形はなくなってしまい、中身はついに見つからない、服には中身があるかのように見せる効果があるようだ、服とは、服の着かたによって、ステキと判断される。「裸の付き合い」という言葉があるけれど、心に衣を着せないで、くったくなく、隠し事もせず、つき合っている間柄のことであるが、やはり着ている物や、着かたによって判断され一般的に人間は「人間は中身が一番」と言われるけれど、それは外見に惑わされてはいけないとの教えだろう。でも、その服を選ぶのは自分だから外見こそ中身ではないだろうか。しかし業界では「売る」ための「売れる」デザインに関心の焦点を当てるあまり、お客様に対してその服を、どのような時に着る、着ない、また着たシーンを忘れがちで、創作した服ばかりを見ていて、お客様の心を見ていないが、でもそれを買って着なければならないのが人間ではないだろうか、裸では居られないのだから。